「LaLa-bye!!」2018.11.18 17~La Grotto

 演じた女優さんが脚本も書き、出演もしている。構成・演出が良いのは、朧の末原 拓馬の協力のお蔭かも知れない。何れにせよ、あの狭く、乏しい機材しかない空間で、よくぞこれだけの作品を提起してくれた。新たな才能に出会えて幸いであった。

 小屋は駒込の住宅街の一角にあるラ・グロット。背凭れのない丸椅子を20脚も並べれば一杯になってしまう小さな空間だ。小屋入口対面には、右下がりに階段があり、入り口、対面それぞれの階段を降り立った床部分が演技スペースと客席になる。尤も対面の階段下の三角の空間は、工夫次第で何かになる。今作でも、この空間は、サブプロットに関わる形で用いられており、デッドスペースになっていない。賢い使い方だ。入り口下手を除いて三方の壁には、色とりどりの布きれが三角形を構成する3辺のうちの2辺や、中を丸くしたリボンなど様々な形に貼り付けられて踊っている。暖色系が多いのは、創作者の温かい心と自由で快活なイマジネーションの働きを示している。観客から見て対面の階段を上り切る少し手前の手摺には、シーツよりやや厚手の布が掛けられ人形を演者が用いる時には演者の身体の隠れ家になり、影絵で表現する際にはスクリーンとして機能する。これだけでも、少なく貧弱な器具を用いて大きな効果を上げている点で見事だが、照明や音楽の用い方も非常に的確で上手い。また人形を操る際には、生身の身体が発する科白と人形の発すべき科白(録音音声が用いられる)との組み合わせ、発語のタイミングがぴったりで感心させられた。先にも述べた通り、貧弱な音響・照明設備の使い方も素晴らしい。

 無論、独り芝居で何役も演じる演者の技量も高い。この7年程の間に、演劇サイトでは発表していない作品を含めると2500本程の舞台を拝見しているが、一目見て、上手いと感心した。小さな小屋に相応しい声量、滑舌の良さ、間の取り方、身体をどういう向きで観客に見せるかや身体の処し方、表情の作り方などを総合して実に良い演技なのである。

 ご本人が書いている戯曲も普遍性を持つと同時に、観客の心の流れを読み取ってでもいるかのようだ。次元を変えて進展させるべき所では、そのように描いている。凡庸な作家は、必ずこのような場所でつまずく。この意味で戯曲家としても才能の輝きを放っている。作品が押し付けがましさを感じさせぬ形で普遍性を持っている点も素晴らしい。

作品解説は以上だ。これは、コリッチという演劇サイトにも書いた。以下は、このブログの為の文章である。

独り芝居だから総てが出る。それで、この女優の素晴らしさは一体何が原因なのだろう? と考えてしまった。答えが出るのに2日間を要した。感覚したものを如何に言語化するのかに若干の時間を必要とした。その結果、彼女の素晴らしさはバイアスを掛けずに世界と向き合っていることだと結論づけたい。この態度が一種の透明感のようなもの、純粋性のみが持つ、本質へのダイレクトなアクセスと充全な交感を可能にしており、彼女の豊かで本質的な表現の源泉を為しているのだ。